脳科学者茂木健一郎が日本の腐ったマスコミを「腐ったメディア」と断罪

テレビによく出て「アハ現象」とかいう軽薄な脳科学を披露する、金儲け主義の似非学者と思っていた茂木健一郎さんが以下のような日本の腐ったマスメディアを断罪する歌を作ったそうだ。

youtubeにアップされていたが現在見られない。
“http://youtu.be/y2zO7ki2JHk”

音楽的にはちょっと残念だが、そのメディアに対する忸怩たる気持ちは伝わる。

もっと具体的に100番までの数え歌ぐらいの作り込みをして欲しいところだが、メディアを利用してきた彼の立場も有るだろうから、まず一曲目として賞賛させていただきます。

茂木さん、続作を心待ちにしています。以下は私見で茂木さんがこういっているのではありません。

腐った日本のマスメディアはどう腐っている

金に転び金権の手先となり国民を洗脳する日本の大手マスメディア。本来は国民生活における「良識」であるはずの新聞は、今はもはや全紙面が権力の「折り込み広告」と化している。
むしろ規制が厳しい広告のほうが嘘が少なく、良識に委ねられている筈の本紙面のほうが欺瞞に満ちているのかもしれない。

報道の地域温度差を原発後の報道で実感したこと

私の実家は原発の「人災事故」により現在も「帰還困難区域」に指定されている福島県の浪江町である。現在では住人で許可書があれば立ち入ることはできるが、今もって「住める・帰還」などはありえない状態である。私の親類縁者は今も福島県内に散り散りに非難している。(2014年1月)

2021年追記 10年以上経過して、浪江町に帰還した知り合いは一人もいない。

みんなどこかに家を構えてしまった。広範囲に散らばってしまい、行き来はあまりできない。

電車や車で通過するときの景色は、夏は雑草色の雑然とした緑と、冬は枯れ草色の自然と、目立つのは、黒い直径2m位の除染土を入れる袋が並べられた土地と、ソーラー発電のパネルが敷き詰められた土地がたくさんできた。実に醜い風景である。

彼らは今もって緊急避難状態であり、本来なら精神の拠り所である筈の「地域コミュニティ」という要素を奪い取られた、精神面で危うい状態を長い間強いられている。精神力が弱くなり病気になる人は幾らでもいる。精神を病み自殺した人だけが被害者ではないのをどうか理解して欲しい。

本来なら国家が一分一秒でも早く数万人という規模の流浪人を責任を持って救済しなければならない筈だ。しかし国と東電はお互いに責任を擦り付けるような猿芝居を演じて時間を引き延ばし、事を先送りして、責任と生活再生資金を曖昧に塩漬けにしており、あわよくば責任を放棄しようという意思が見え隠れしている。地元の地方紙では、さすがに政府や東電を指弾するような住民の意見を掲載しており、問題解決を求める意思は強く見られる。

ところが、中央紙やテレビという日本の意思ををリードするマスメディアにおいては、政府や東電批判はほとんど見られない。意図的に臭いものには蓋をしたままだ。関連するニュースを取り上げるとしても、「政府は頑張っています」というトーンで伝えられる。それどころか東電の報道にいたっては値上げの根拠を報道し、該当インタビューでは「被災者の救済のために値上げはやむを得ませんね」と美人で上品な奥様がのたまう(売れない役者と時々ばれているようだが)。東電のCMそのものではないですか。呆れ果てるばかりです。

まあ事故当時、責任放棄の無能社長「清水正孝」という稀代のクズ人間を全く批判しなかった腐ったメディアなのだから言わずもがなではある。清水は悪人以下で軽蔑にも値しない痴呆で、あんなやつを社長にした勝俣とかいう卑しい妖怪の長期院政を敷くという下卑た下心が見え見えです。

マスコミや政治家を操るのはやはり「金の力」

問題は、歴史上類を見ないこれだけの人災事故を、責任は東電にのみあるとうそぶくだけならまだしも、「原発を輸出産業の将来の柱と考える」と言い続ける、危うい家業首相安倍 晋三の態度は、ブッシュ・ジュニア大統領に匹敵するような、操りロボット振りではないか。

それを批判もせず「今日のニュースでござい」とそのまま垂れ流すマスコミ。流すだけなら問題ないが、その直後に、街頭インタビューの放映という形を取り、思想を為政者の思惑に沿った方向に誘導するのは、腐ったメディアにとっては、いつもの映像処理・定型ルーチンです。

これを10対0と露骨にやるのが在京キー局。NHKは少し本物らしく見える「一手間」を掛けるように見受けられます。

「マスメディアが腐っている」のを分かっているならまだいいけれど

茂木健一郎の曲に快哉を送るのは「変人扱いされる覚悟」が必要かも知れない。奥さんにこのビデオを見せたとして、賛同してもらえる恵まれた?ご主人はどのくらいいるだろうか。

職場で話題にしたとして、「フーン?」で終わるのが関の山だろう。

批判はする必要がない態度への考察

無関心は仕方がない。怖いのは、影響力のある人が体制側の論理に洗脳されていることだ。

よく顔をあわせる近い関係の親戚に、某役所で某課長をしている男がいる。役所の課長といえば、一般企業でいえば取締役クラスの権限と責任を持っている。

この男と上気のような体制批判的「本当の話」をすると、お前は都市伝説に洗脳された愚か者だと言われてしまう。反証をいくら積み上げようが、愚か者の評価は決して覆らない。

彼は狂信的とも思える無批判な体制盲従者に見える。教養も知識も地位も責任もあるのに、だ。

もしかしたら、役所内で何か疑問を口にすれば、その都度「考えるな、自分の責任を果たすのが重要だ」などという指導(洗脳)を受けるのではないかと勘繰ってしまう。

公務員であれ企業人であれ、日本のような組織従属型の雇用形態で家族を養ってる個人にとっては、自ら乗る舟を揺さぶるような行為はタブーだと言う暗黙のルールがあるのだろうか。

しかも、多くのものを纏っている人ほど、守りの姿勢は強くなるのだろうか。

だが、マスメディア従事者は、生活の安定のためだけにそこに就職したのだろうか。○○自動車に採用されそこなったからという理由で○○新聞に入社したのだろうか。だとしたら迷惑極まりない話だ。すぐ転職して欲しいものだ。そうでないなら気概を示せと言いたい。

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