このろくでもない星の住人たちは許してもらえるのか

私の会社には○◯学会の関係者?の方が数人いる。

どんなときもwifi

社内では宗教的振る舞いは全くない。公明党をよろしくとも言わない。隠している。

宗教を信じるということは、その人が宗教にすがりたい特別な理由や精神的な性質を持っているからなのだろうか。

単に親の代から信仰しているからとか、生活環境の一つだからという方も多いだろう。

日本では、特に熱心な仏教徒でなくても、家庭内の仏壇に花を手向けたり線香を上げたりという日課を欠かさない家庭はいくらでもあるだろう。

その人達が宗教心が強いかどうかはわからない。単に先祖の供養の作法という位置づけかもしれない。

しかし、そうではなく、強い信仰心を持つ人もたくさんいる。積極的な信仰心を持つ人。信心深い人。

 

では、信仰の動機、宗教心とはどういうものか。

信じたいから信じるわけであろう。

神に従いたい、あるいはすがりたい気持ちとは何か。

言い換えれば神に何を求めているか。

(倫理的教えや学問、習慣や慣習としての、消極的宗教観は除く。)

哲学的に真面目に言うなら、

ズバリ、「許し」であろう。

「悔改めよ、さらば許されん」

そして、許してもらった後、善良な人間として「認めてもらう」事であろう。

 

つまり、裏を返せば、自分は許されない人間だと思っているのだ。

善良な人間として認められないと思っているのだ。

そこで、CMのクリエイターがジョージアのコマーシャルで(比喩的に)宇宙人に宗教活動をさせている。

前述の許されざる認められない人たちは、言い換えれば、ジョージア星から来た宇宙人に看過されたような「つまらないろくでなしの、この星の住人」なのだ。

神の存在感が希薄な現代。宇宙人がそのような地球人を「認めてくれる」というわけだ。

「許してもらった」のだ。

 

120円位のコーヒーを飲んで許してもらえるなら、ありがたい。

コーヒー好きの私は、死後は天国か桃源郷で酒池肉林の生活を永遠に続けることになるだろう。

・・・こんな罰当たりなことを言っても許してもらえるのだろうか?