2013(平成25年)夏。原発によるジプシー生活のストレスで病没した父の新盆で母の疎開先へ尋ねることになった。
夏だしどうせなら自転車で行こうと決めた。スケジュールはこうだ。
足立区からいわき市まで輪行。いわき市から標高900m程度のあぶくま山脈を縦断する国道39号線を走破。
途中通行止区間(赤いバツ印)が有り大きく迂回を強いられる。
総走行距離160km。標高差900m。これを一日かけて走破する計画だ。
海側のバツ印は、メルトダウンし近づくことも危険な「地球の危険ゴミ」福島第一原発。
中程のバツ印は、放射線量が高く近づけば危険な場所。通行止めになっている。
全行程
ところが、早朝始発で出発するはずが、9時頃の出発になってしまった。
普通の時間に起きて、家の家事をやっていたからである。バカなんでしょうな、結局。
出発準備をして、北千住まで自転車で行き(10分弱)前輪を外して輪行袋に押し込んで電車に乗った。
いわきに着いたら13:00になっていた。5・6時間では到着出来まい。引き返すか否か悩んだ。
結局おふくろに「かなり遅くなるが今日中に行くから、晩飯済ませて寝てて」と電話。強行だ。
ヒルクライム本番
いわきから30分ほどで市街地を抜け一気に山登り。
時は真夏。登り始めてすぐ滝のような汗がながれる。
上り坂なのでつい負荷をかけすぎてしまい、体温が激しく上昇する。
しかたがないので持っていた水を上半身にかけて冷やした。
これがさらなる地獄を見せてくれる。
と言うのはすぐに水がなくなってしまったが、ぽつぽつと民家はあるが公園はない。
こんなところに公園があるわけない。
いよいよとなったらどこかの家で水を貰うしかないが、ちょっと気後れする。
誰か表に出てないかなーと思いながら走っていると、なんと山の登山小屋?があった。
助かったと思い小屋に行くと施錠してある。仕方がないトイレがあるので水道水を汲もうと思った。
しかし、トイレには水道がなく、中身が空のプッシュ式消毒液ボトルが有るだけ。
これは凹んだ。
こうなったら湧き水でも飲むかと思ったが、道路の脇に点々と置いてある高放射線量の土を入れた直径2mくらいの土嚢袋を見ると、地域全体の放射線量が高いと実感する。
湧き水といえど当然放射能が含まれているに違いない。不気味だ。飲みたくない。
そんなことを考えながらペースを落として山を登っていたら、入り口近くに流し台がある民家があった。
「すみません」と声をかけるとおじいさんが出てきた。「水を分けてくださ」いというと「いいよ」と言って引っ込んでしまった。
水を飲めるだけのみ、2Lのペットボトル2本を満タンにし、大声でお礼を言うと爺さんが出てきたので、丁寧に礼を行って出発した。
程なくお城が復元してあった。
【磐洲城天守閣】
崖の突端に天守閣だけが復元してあった。高さ的にはほぼ山の上だろう。
この山の上の村は城下町だったのだろうか?
この後は民家はなかったので、結果的にラストチャンスだった。
【天空の村という感じ】
地獄のヒルクライム「尾根伝いアップダウン」
ここから登り一辺倒ではなくサイクルの長いアップダウンの感じになった。おそらく山々の峰を伝っているのだろう。
ものすごい勾配が次から次へとやってくる。一番軽いギアでも進めなくなり、降りて押した。
シマノ アルテグラ 20段ギアの一番軽いギヤにSPDスパイクを履いて登れないという勾配がすごいのか自分がヘナチョコすぎるのか。
この歩き行程でものすごく時間をロスした。1~2キロ進むのに2.3時間かかった。これは想定外だった。
やがて下りにさしかかった。10分~20分の下りが3本ぐらいあった。これは楽しい。
ブレーキがディスクブレーキでよかった。ゴムなら逝っちゃてたかもしれない。
ビデオに撮って家に帰って観たが、すごいスピード感・臨場感で思い出しては感激した。
しかし、外付けの HDDに保管していたら、HDDがクラッシュして映像はなくなった。悔しい。
(息子の運動会のビデオとかも飛んでしまった。PCのUSB外付けHDDは次々に壊れる。USBプラグの抜き差しと、電源の問題と二つの問題があると思う。あるいはこの二つの問題が複合して起こると簡単に壊れるという印象がある。理論上の転送速度なんか競ってないで、安定したものを作れと言いたい。だから日本のモノ作りは駄目になっているのだが、分かっちゃいるけど止められないんでしょうな、日本メーカーは。)
そして、下り終えたらだんだん暗くなり始めた。18時くらいになったろうか。まだ3分の1位しか来てないのに。
更に、国道288号線とぶつかる点へ来たらなんと、先が延々と続きそうな上り坂が見える。がっくり来た。
心は折れたが、走り続けた。夜中の12時を回らないうちに着きたいなと思った。
しかし、その2時間くらい後、兄貴が車でレスキューに来た。
途中何度も電話がかかってきて「大丈夫だからほっといてくれ」と言ったがそうは行かなかった。
迷惑をかけてしまった。
ついた後、数日の滞在中、通勤で国道399を毎日通るという親戚がいたが、「399の山の中を自転車で通っている人を見たことはない」と言っていた。
「エッヘン」武勇伝。
しかし自転車で来て良かったと思う。翌日から3・11大地震の爪痕を見て回れた。
自然の猛威はそのまま形跡をとどめていた。原発の人災により時間は止めらたのだ。
【鉄の塊のベース部分以外はめちゃくちゃになってそのまま錆びた小型ユンボ(ショベルカー)】
見渡す限りのびっきた雑草の野っ原だが、もとは豊かな水田だった。
立ち入り禁止ではないが、人が住むことはできない、「居住困難区域」。
同様につぶれた車がごろごろ転がっている。
家という家は、損傷を受けていながら、壊すでもない直すでもない、そのままの家が残されている。
遠くから見ると誰かいそうな感じだが、近くまで来ると災害の打撃がそのまま残っている不思議な光景だ。
被災後立ち入り禁止にならなければ、壊すか直すか片付けるかするだろう。
全住人が一瞬でいなくなったという、戦争でさえも起こり得ない特異な状況が原発によってもたらされたということを、我々は覚えておかなければならない。
「復興は進んでいるので原発自体に問題はない。国の産業として原発を輸出します」と言っているおぼっちゃま安倍晋三は、所詮人間的にはつまらない政治屋の三代目に過ぎないということだ。
帰りは、兄貴が郡山市の親戚に行くというので、郡山駅まで乗せてもらい、新幹線で郡山から大宮まで行き、大宮から自転車で足立区の家に帰った。
これは楽だった。新幹線への自転車持ち込みも全然問題なかった。
楽しかったが、真夏なのがつらすぎた。今度は涼しい季節に輪行に挑戦しよう。
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